なぜ内宮では個人的な祈りはしないのか?

伊勢神宮の内宮で祀られている天照大神は、元来歴代の天皇によって宮中で祀られていました。
それが第10代崇神(すじん)天皇の時代に、神からの啓示によってしかるべき鎮座地を求めて、近畿地方を中心に20数カ所で祀られた後に、次の第11代垂仁(すいにん)天皇26年(約2千年年前)に皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)によって、現在の伊勢の地に鎮座しました。そうした経緯から宮中を出立した後、現在地に辿り着くまでに祀られた神社を「元伊勢」(もといせ)と称します。
また現在でも神社フリークの間では、そんな「元伊勢めぐり」がなされています。

そこで次に私たちが内宮参詣に当たって理解しなければならないことは、天皇の本来の役割です。
戦後の私たちは天皇は「国の象徴」と学校で習ってきました。また先の大戦等で天皇の名の下で多くの人々が戦死したことから、天皇を軍国主義の象徴と捉えている人も少なくありません。
しかし、元来の天皇の役割というのは神主であり、現在の今上(きんじょう)天皇においてもそれに変わりはありません。神主の中の神主という立場で、ただひたすらに「無私の精神」で神の意思を人々に示して、世界の平和と人々の幸せを祈念する。それが天皇の本質なのです。

ちなみに明治神宮のおみくじはすべて明治天皇と皇后の御製となっています。天皇のお言葉がそのままおみくじという、神からのメッセージとなりうることからも、その本質を伺い知ることが出来ます。
今上天皇においても然りで、公式に発せられるそのお言葉はすべて上述の事柄を踏まえてのものとなっています。だからこそ日本人は、古来からそんな「無私の精神」を貫く天皇の存在を敬い慕ったのです。

したがって宮中で祀ってきた天照大神に捧げられる天皇の祈りも、当然のことながら私的なものではなく、公のための祈りでしかありませんでした。そんなことから天照大神という神自体も、本来は現世御利益的な祈りの対象ではないのです。だから、伊勢の内宮で天照大神に対して私的な祈願をすることは、あたかも愛を説いたイエスに、あるいは悟りへの道を説いた釈迦に、商売繁盛という見当外れの祈りをすることと同じなのです。それでも敢えて私的な祈りをするならば、それは魂の成長と浄化につながるものであるべきでしょう。

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