∞・∞ 天河大弁財天社 ∞・∞

パワースポット天河


天河大弁財天社(以下、天河神社)は、地理的には、奈良県吉野郡天川村に位置していますが、意味深いことに、日本の三大霊場である高野、吉野、熊野を結んだ三角形の中心に位置しています。
言い伝えによりますと、(最初の天皇であるところの)神武天皇が現在の天河神社の地で、「ヒノモト」という言葉を天から賜ったとされています。「ヒノモト」が「日本」の源であると考えられていることから、おそらく「日本」という国名はこの地で生まれたということになります。

天河神社は世界にいくつか点在する、神聖なエネルギーに満ちた場所の一つとしてみなされています。古代より社殿には磐座(いわくら)がありますが、この磐座とは非常に神聖なものであり、神が住まわれているところであります。磐座は古代の神事で極めて重要な役割を果たしたのであり、また神武天皇がここで祈りを捧げたともいわれています。後に偉大な賢者として知られる僧たちも、天河という聖なる場の神秘によって引きつけられました。7世紀頃、修験道の祖である役ノ行者は、長年にわたり天河を活動の拠点とし、奈良県吉野の大峯山に75靡の道場を開山しました。また空海(弘法大師)は、天河神社で修業を行った後、高野山で真言宗を築くに至りました。この2人の偉人は、天河の神聖によって影響を及ぼされたのでありましょう。確かに上述の磐座からは最高の質の宇宙・自然のエネルギー、すなわち神のエネルギーがわき上がっていますが、現在ではここは人踏禁制であります。

社殿については、7世紀、天武天皇が戦勝祈願の功に対する感謝の印として、神殿を建てたのが最初であると伝えられています。現在の荘厳な社殿は平成元年に建てかえられたものであり、樹齢五百年、千年の吉野檜が使われています。この立て替えは歴史的に意義があるものとみなされ、新社殿に神をお祀りするため、厳粛な神事が取り行われました。

天河神社のご本尊は弁財天であり、これはヒンズー教の女神、サラスバティーと同一視されています。7世紀前半に、上述の修験道の祖、役ノ行者が大峯山の一つ、山上ケ岳で国の平和を祈願しましたところ、まず最初に弁財天(サラスバティー)が、それから男性の神、蔵王権現が姿を現しました。弁財天(サラスバティー)は優雅な女性の女神であるため、荒々しい山上ケ岳の守護にふさわしくないと判断し、役ノ行者は、天河神社の隣接に位置する、水の神の山である弥山にこれをお祀りしました。現在、弁財天(サラスバティー)は、天河神社にも弥山にもお祀りされています。

弁財天(サラスバティー)は芸術、文学、音楽、弁舌の神として知られています。そして天河神社は中世より能と深く関わってきました。神社には非常に貴重な能面・能装束・謡本が現存しています。今でも、神殿に建てられた能舞台の上で能役者による能が演じられております。

天河神社は皇族の人が窮地に追い込まれた際、支えの手をさしのべたこともありました。14世紀に後醍醐天皇は謀反を起こされ、吉野の山中に逃れました。後醍醐天皇の後を受け継いだ後村上天皇はその人生の一時を天河で過ごし、村人達の忠誠を仰ぎました。天河神社は皇族の不遇な時代にあって、彼らの悲しみを癒すために、栄光ある秘境の場を提供したのでした。天河神社は、様々な歴史的事件とともにその運命を翻弄されつつ、何世紀にもさかのぼる歴史を綴ってきました。近年、ますます多くの人が、単なる物質的な暮らしを追求するのではなく、精神的な暮らしの追求に努めようとしているように思われます。天河神社は、日本文化の聖なる発祥の地として、また、日本の精神性の聖なる故郷として、そのような人々の注文を浴びているのです。