神社と神道

「神ながらの道(惟神の道・カンナガラノミチ)」という言葉があります。これは神の摂理にしたがって生きるという意味ですが、この時の神とは大自然そのものを指します。そして、それが神道の精神なのです。神道には教義も教典も教祖も存在しません。それは自然そのものが教義であり、教典であり、教祖だからです。

自然や宇宙は何人(ナンピト)も冒すことの出来ない摂理で成り立っています。そして、これはすべての森羅万象に偏在する一貫性であり法則です。またこれは目に見える世界から、目に見えない世界までをも貫く法則性であり一貫性です。だからこそ私たちはそこから真理を見出すことが出来るのです。つまり、自然や宇宙から、人としてのあり方や生き方、また心のあり方さえも、学ぶことが出来るのです。

そして、実際にそうした自然や宇宙から、人の生きるべき道という真理を見出したのが、世界の聖人たちなのです。たとえばイエス・キリストは荒野での40日間の断食瞑想を通して「この世は愛である」ことを悟り、釈迦もまた同様にして「この世は空であり、慈悲である」ことを悟りました。このように自然から答えを得るという精神こそが「神ながらの道(惟神の道)」、すなわち神道なのです。そういう意味ではイエスも釈迦も、特定の宗教の教祖や開祖である前に、自然の摂理から真理を見出すという意味においては、一人の神道家だったといえるでしょう。

そして、神社とは時にそうした大自然を神として、また時に今日の私たちの礎となった先人や先祖を神として、畏れ、崇め敬い、弔い祀る場所なのです。したがって私たちが神社へ参詣するのも、そうした神々に対する畏敬の念を育み抱き、感謝の誠を捧げるためなのです。そして、そのようにして目に見えぬ神々の存在を意識することで、イエスや釈迦に倣って、神々から生きる知恵を感得することが、神社に参る私たちの心構えなのです。

宮本辰彦


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