手水舎

境内に入ると手水舎(てみずや)があります。
あの神社でいつも手を洗い、口をすすぐ場所のことです。
そしてその水盤の多くには「洗心」という二文字が彫られています。
おそらくほとんどの人はあそこでさして何も思うことなく、ただ神社参拝の一連の流れとして、柄杓(ひしゃく)を手にしているのではないでしょうか。
神道では神気や宇宙のエネルギーというものは、穢れを祓い、心身を清浄することによって、初めて私たちの中に入ると考えられています。
だから本殿に向かう前には必ず手水舎で心身を清めます。
そうしないとせっかく神の前に立っても、神気をいただくことが出来ないからです。しかし清めるといっても、それは物理的に汚れを落とすということではありません。
霊的な祓い清めを意味します。
ちょうどクリスチャンがわずかな聖水をパッパッとかけて洗礼を行うのと同じで、手水舎での一連の動作も、そのことで霊的な祓い清めを表しているのです。
考えてみればあのたったひとすくいの柄杓の水で、両手と口の汚れを全てきれいに洗い落とすというのは、少々無理があります。
おそらくほとんどの人はあそこでさして何も思うことなく、ただ神社参拝の一連の流れとして、柄杓(ひしゃく)を手にしているのではないでしょうか。
神道では神気や宇宙のエネルギーというものは、穢れを祓い、心身を清浄することによって、初めて私たちの中に入ると考えられています。
だから本殿に向かう前には必ず手水舎で心身を清めます。
そうしないとせっかく神の前に立っても、神気をいただくことが出来ないからです。しかし清めるといっても、それは物理的に汚れを落とすということではありません。
霊的な祓い清めを意味します。
ちょうどクリスチャンがわずかな聖水をパッパッとかけて洗礼を行うのと同じで、手水舎での一連の動作も、そのことで霊的な祓い清めを表しているのです。
考えてみればあのたったひとすくいの柄杓の水で、両手と口の汚れを全てきれいに洗い落とすというのは、少々無理があります。
だから実際に手水舎で心身を祓い清める時には、何の気なしに柄杓を手に持つのではなく、自らの手と口を霊的に清めているのだという、強い意識とイメージが大切です。
なぜならこうした目に見えない霊的な気の世界では、こうした意識とイメージの力が極めて重要だからです。

Tatsu

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